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  <title type="text">1960年代に生まれて</title>
  <subtitle type="html">1962年生まれのフリーランサー雑日記</subtitle>
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  <updated>2013-08-01T21:33:28+09:00</updated>
  <author><name>五和れいほく</name></author>
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    <published>2013-09-11T22:30:18+09:00</published> 
    <updated>2013-09-11T22:30:18+09:00</updated> 
    <category term="１９６０年代年表" label="１９６０年代年表" />
    <title>大学生初任給の推移</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[1960年～2000年、大学生初任給の推移<br />
<br />
1960年 16,115&nbsp; <br />
1965年 24,102　&nbsp; <br />
1970年 40,961&nbsp; <br />
1975年 91,272&nbsp; <br />
1980年 118,138　&nbsp; <br />
1985年 144,541&nbsp;<br />
1990年 173,996&nbsp; <br />
1995年 198,063　&nbsp; <br />
2000年 201,389　&nbsp; <br />
<br />
2012年は、207､585となっているので上記の推移からみると<br />
2000年からほぼ横ばいと言える<br />
<br />
今世紀になり、明らかに流れが変わっている<br />
「多額の住宅ローンを抱える」ということ一つ取っても<br />
それは高度成長を前提とした「昭和の常識」に過ぎない<br />
<br />
再来年は終戦から数えて70年に当たる<br />
終戦時から同じくらいの年月で過去をみると<br />
刀を腰に差した侍がみえる江戸末期なのである<br />
<br />
「常識」と「非常識」は、恐ろしいほどにあっさりと変幻する]]> 
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            <name>五和れいほく</name>
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    <published>2013-09-11T00:58:18+09:00</published> 
    <updated>2013-09-11T00:58:18+09:00</updated> 
    <category term="日記" label="日記" />
    <title>TOYOTA2000GT</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[トヨタが1967年〜1970年に販売した伝説のスポーツクーペがトヨタ2000GT<br />
<br />
これまで車には全く関心を寄せたことがないが、従兄がブラモデルを作りながら「この車を買うのが夢」と語っていたのが強烈な印象として残っている<br />
<br />
どこにでもあるようで、微妙に差異(彩・采・才)を放ち人を惹きつけるものが、どの世界にもある<br />
<br />
「車は実用的なものがよい」と思っている私でさえ、なにか魅力を感じる<br />
<br />
わずか337台の生産で終わったこともあり、米国で116万ドルで落札されたニュースを目にした<br />
<br />
ちなみに従兄が最初に購入したのは、1969年から販売が続いているフェアレディZであった。こちらは全世界総生産台数が55万を超えるとのこと<br />
<br />
販売台数だけでは計れない「人気」というものが存在するのだと感じる]]> 
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    <published>2013-09-10T12:20:48+09:00</published> 
    <updated>2013-09-10T12:20:48+09:00</updated> 
    <category term="ビートルズ" label="ビートルズ" />
    <title>ノーリプライ・No Reply</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[1964年12月4日英国でビートルズ4枚目のアルバムが発売された。クリスマス商戦に間に合わせて即興的につくられた感のあるアルバムは、それをストレートに表し「ビートルズ・フォー・セール」というタイトルがつけられた。昨年大々的に企画された人気投票においては、最も投票数の少ないアルバムとなった<br />
<br />
そのオープニングを飾っている曲が「ノーリプライ」。米英ではシングルカットされず、ベストアルバムにも選曲されていないことからビートルズファン以外には、あまり知られていない。それでも個人として最も好きなビートルズナンバーなのである<br />
<br />
ビートルズ前期の魅力を凝縮した名曲だと思っている。なによりも、このナンバーでのジョン・レノンの声は誰にも真似ができない、特別なもの<br />
<br />
「返事がない」という意味のタイトル、電話をしても尋ねても居留守を使う彼女のことをネチネチと綴った歌詞、こういった曲をうたわせたらジョンの右に出るものはいない<br />
<br />
知合いのミュージシャンが「不良でなければ出せない音があるんだ」と語っていたのを思い出す<br />
<br />
両親に捨てられた幼い「孤独感」は高度成長期に日本で生まれた私などが知る由もないが、「ロックだけがリアルだった」と語るジョンの魂は、誰の心にも届くのである]]> 
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    <published>2013-09-09T12:49:28+09:00</published> 
    <updated>2013-09-09T12:49:28+09:00</updated> 
    <category term="フード" label="フード" />
    <title>インスタントラーメン</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[チキンラーメンの発売が1958年、カップヌードルの発売が1971年なので、1960年代はインスタントラーメン開発という点では端境期とも言える。しかし、それを最も多く購入もしくは食した年代は1960年代生まれではないだろうか？<br />
<br />
2011年時点でカップヌードルは80ヶ国で販売され、総出荷数は310億を超えるとか・・・いろいろな意味で恐ろしい数字だ<br />
<br />
昭和10年生まれの母親がインスタント食品を毛嫌いしていたことにより、個人的に中学までは口にすることは少なかった<br />
<br />
最も利用したのは、大学時代に一人暮らしを始めた時だ。これまでに、どれくらいの数を食べたのかは全くわからないが、そのほうが幸せだ<br />
<br />
2003年から菜食になり、全く口にしなくなった。それでも「あの独特の旨味」は懐かしさと満足感の思い出に繋がるのである]]> 
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    <published>2013-09-06T21:32:09+09:00</published> 
    <updated>2013-09-06T21:32:09+09:00</updated> 
    <category term="東京" label="東京" />
    <title>1964年東京オリンピックと建築</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[初めて上京した時に叔父が東京見物に連れていったことを、このブログに記したが、その叔父は資材系の建築会社を営んでいた<br />
<br />
叔父は1964年東京オリンピックの建築需要で、大きな財を築いていた。リンカーンというアメ車に乗り、自宅には高級輸入酒や装飾品が並び、飼い犬3匹の中のシェパードは学校に通わせていたりもした<br />
<br />
叔父の家に遊びに行くことも多く、大人の会話もよく耳にした。その中で、「設計書に記された鉄筋資材よりも細いものを使って利益をあげるのが業務の常識」であるようなことを話していたのを小学生ながら覚えている<br />
<br />
その業界がどの範囲なのかは知らないが、全く根のない話ではないだろう。東京オリンピック開催の10年後制作された「タワーリングインフェルノ」という映画の中で起きる火災の原因も「設計書と違う資材」だった<br />
<br />
ここ最近、オリンピックの東京招致が話題になっている。私の場合、「東京オリンピック」と聞くと、首都高速が横倒しになる光景を連想してしまう。子供の時に受けた印象というのは本当に強いと思う<br />
<br />
招致に費やす金の流れも含め、この単語と一緒に記憶された感情は、すこぶる悪いのである]]> 
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    <published>2013-09-05T05:52:35+09:00</published> 
    <updated>2013-09-05T05:52:35+09:00</updated> 
    <category term="スポーツ" label="スポーツ" />
    <title>ノーラン・ライアン</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[最近はダルビッシュが所属するレンジャーズ球団社長として知られるノーラン・ライアンがメジャーデビューしたのは1966年9月11日。その剛球に脚光が当たるようになるのは、入団したメッツからエンゼルスに移籍する1972年まで待つことになる<br />
<br />
初めてライアンの剛球をテレビで観たのは、1979年シアトルキングドームで開催されたオールスターゲーム。その時はアメリカリーグの先発であったが撃ち込まれてしまった。しかし、その剛球とマウンドでの堂々とした姿は、今でも心に焼き付いている。これほどマウンド上で絵になる投手はいない、「これぞ投手」とも言える独特のオーラを持っているのだ<br />
<br />
オールスターのナショナルリーグ先発は、同じ300勝投手で1980年代に通算奪三振数でメジャー記録を競うことになるスティーブ・カールトンだった。ライアンの奪三振力は1973年をピークに緩やかな下降線を描いていた。1983年にウォルター・ジョンソンのメジャー記録を破ったものの、その後すぐにカールトンがライアンの記録を破ることになる。<br />
<br />
両投手が先発するたびにメジャー記録が変わるという、ニュースが話題になったのを記憶している<br />
<br />
1973年383奪三振は、1986年に197まで下降していた。その翌年からライアンの奪三振力が再び上昇することを、誰が予想しただろうか？<br />
<br />
1987年からチェンジアップを使うようになったのだ。それまでのライアンはストレートとカーブだけで三振の山を築いていた。測定位置で誤差が生じるスピードガンと違い、いかにライアンのストレートが並外れたものだったかを如実に物語っている<br />
<br />
今年になり、ダルビッシュとライアンの奪三振数が比較されるのを、目にするようになったが、二人の投球スタイルは対象的である<br />
<br />
1993年まで剛球投手として活躍を続けたライアンは、生きる伝説となった。ダルビッシュがいつまで活躍できるかは誰にも予想できないが、球団社長として近くに存在するのも何かの縁。何かを得て少しでも長くメジャーで活躍してもらいたい。ライアンから学べることは多いと思う<br />
<br />
今年の初戦にダルビッシュが9回2アウトまでノーヒットを続けて話題になったが、ライアンは1安打ピッチングを12回も記録しているのだ<br />
<br />
]]> 
    </content>
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    <published>2013-09-04T22:41:09+09:00</published> 
    <updated>2013-09-04T22:41:09+09:00</updated> 
    <category term="社会・産業・流通" label="社会・産業・流通" />
    <title>コンピュータシステム</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[我が国の銀行が初めてコンピュータシステムを稼働させたのは1958年と言われている。1960年代は金融系中心に導入が拡大した時期となる。<br />
<br />
その当時はバッチと言われる一括処理がメインであり、膨大なデータを扱う金融系業務はシステム的に融合した。<br />
<br />
1970年代には第1次オンラインと呼ばれる回線を使った会話処理が発展した。CD(現金支払機)が登場するのは1980年以降のことだ<br />
<br />
金融系企業は導入時期からして先進的だったのだ<br />
<br />
その金融系システムは想像を超えるほどの巨大なものであり、その開発費用及び制度改正等によるメンテナンス費用も巨大なものである<br />
<br />
そんな中、コンピュータは日進月歩に進化した。ダウンサイジングの流れである。<br />
<br />
しかし、巨大なものほど身動きは重くなる。膨大なプログラム資産を作り直すのは、費用、期間、リスク等から並大抵のことではない。システムに問題があれば、お金が絡むだけに大きなニュースになったりもする<br />
<br />
<br />
結果、1960〜1970年代に開発されたブログラムが稼働している金融系システムも珍しくない。プログラム制作は基本技術者の手作業となる。知合いの金融系システムエンジニアの現場には2000人を超える技術者が就業していると聞く<br />
<br />
「古い金融系システムは金食い虫、それに携わるシステムエンジニアは体力勝負のＩT土方」とは知人の言葉。波はあるにせよ、古いシステムは若手がやりたがらないので微妙に人材不足だとか。それに1960年代に開発に携わったエンジニアは既に引退している<br />
<br />
目に見えるATMを始めとして日々使い勝手が良くなる金融系システム、その裏側には信じられないような労力が払われているのだ]]> 
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            <name>五和れいほく</name>
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    <published>2013-09-03T08:16:09+09:00</published> 
    <updated>2013-09-03T08:16:09+09:00</updated> 
    <category term="社会・産業・流通" label="社会・産業・流通" />
    <title>丙午</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[1966年は干支が丙午という理由で出生が激減した。前年比25%減というのだから相当なものだ。日本は平安期から暦に記された吉凶にまつわる記号を日々意識しながら生活していた。丙午は江戸時代のある事件により生まれた迷信とされる。<br />
<br />
幼い頃、年配の女性から生まれ年の干支をよく聞かれた記憶がある。旧暦から新暦に変わり非科学的な迷信等を払拭した明治政府だが、干支と六曜は戦後になっても意識され続けた<br />
<br />
丙午生まれの女性は気性が激しく夫の命を縮めるとの言い伝えがある。1906年丙午において、多くの女性が婚期を逃したという。その事実が60年後の1966年に影響したことになる。干支は60干支と言われ60年周期で循環している。自身の生まれた干支が巡ってくるのは、60歳になった時、それを祝うのが還暦。<br />
<br />
次の丙午は2026年になる。その時は吉凶で出生が減ることはないと思うが、すでに出生数は1989年から1966年の約137万人を下回っている。<br />
<br />
吉凶で言うなら現代の人口減そのものが「凶」である。この世は全て陰陽、「吉」とは？]]> 
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    <published>2013-09-01T22:51:17+09:00</published> 
    <updated>2013-09-01T22:51:17+09:00</updated> 
    <category term="東京" label="東京" />
    <title>霞が関ビルと東京タワー</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[熊本で生まれ、父の仕事の関係で上京したのが1970年。その上京した日に東京都保谷市に住む叔父が東京都内を案内してくれた。初めての東京見物である<br />
<br />
その時、霞が関ビルと東京タワーに立ち寄ったことだけは、はっきり覚えている。そして東京タワーのすぐそばでジャイアント馬場に出会った光景は、さらに鮮明に記憶している<br />
<br />
何故霞が関ビルかと思っていたが、日本初の超高層ビルとして公開されたのが1968年4月となっている。その当時は地上36階のビルが話題になっていたのだろう<br />
<br />
東京タワーと霞が関ビルを見ると何故かワクワクするのは、初めてテレビの中の人をみた興奮が影響しているかも知れない]]> 
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    <published>2013-08-30T12:51:36+09:00</published> 
    <updated>2013-08-30T12:51:36+09:00</updated> 
    <category term="ビートルズ" label="ビートルズ" />
    <title>ビートルズ</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[ジョンレノンが学友とアマチュアバンドを結成したのが1957年3月、下積みを重ねシルバービートルズと名乗るようやなったのが1959年。翌年にはビートルズとなり、1962年正式なレコードデビューを果たした。そしてビートルズとしての最終レコーディングが1969年8月、翌年正式に閑散した。まさに1960年代に生きたバンド<br />
<br />
私が生まれて初めて購入したアルバムは、その最終レコーディングとなったアビーロード<br />
<br />
購入したのは1976年、アメリカ建国200年祭でビートルズが再結成されるという話題で盛り上がっていた時である。1970年代には「再結成」という言葉で、定期的に盛り上がりをみせたりもした。その定例行事は1980年12月に消滅する<br />
<br />
初めて購入したアナログ盤アビーロードは熊本の実家にあるバイオニアコンボーネントの下段に保管され健在である<br />
<br />
今では、帰省した時にアナログの音源を楽しむのが定例行事となっている。アナログ盤の針をおとし、雑音に続き流れる低重音のアンサンブル「come together」はいつ聴きても新鮮で胸に響く]]> 
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            <name>五和れいほく</name>
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