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1962年生まれのフリーランサー雑日記
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我が国の銀行が初めてコンピュータシステムを稼働させたのは1958年と言われている。1960年代は金融系中心に導入が拡大した時期となる。

その当時はバッチと言われる一括処理がメインであり、膨大なデータを扱う金融系業務はシステム的に融合した。

1970年代には第1次オンラインと呼ばれる回線を使った会話処理が発展した。CD(現金支払機)が登場するのは1980年以降のことだ

金融系企業は導入時期からして先進的だったのだ

その金融系システムは想像を超えるほどの巨大なものであり、その開発費用及び制度改正等によるメンテナンス費用も巨大なものである

そんな中、コンピュータは日進月歩に進化した。ダウンサイジングの流れである。

しかし、巨大なものほど身動きは重くなる。膨大なプログラム資産を作り直すのは、費用、期間、リスク等から並大抵のことではない。システムに問題があれば、お金が絡むだけに大きなニュースになったりもする


結果、1960〜1970年代に開発されたブログラムが稼働している金融系システムも珍しくない。プログラム制作は基本技術者の手作業となる。知合いの金融系システムエンジニアの現場には2000人を超える技術者が就業していると聞く

「古い金融系システムは金食い虫、それに携わるシステムエンジニアは体力勝負のIT土方」とは知人の言葉。波はあるにせよ、古いシステムは若手がやりたがらないので微妙に人材不足だとか。それに1960年代に開発に携わったエンジニアは既に引退している

目に見えるATMを始めとして日々使い勝手が良くなる金融系システム、その裏側には信じられないような労力が払われているのだ
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1966年は干支が丙午という理由で出生が激減した。前年比25%減というのだから相当なものだ。日本は平安期から暦に記された吉凶にまつわる記号を日々意識しながら生活していた。丙午は江戸時代のある事件により生まれた迷信とされる。

幼い頃、年配の女性から生まれ年の干支をよく聞かれた記憶がある。旧暦から新暦に変わり非科学的な迷信等を払拭した明治政府だが、干支と六曜は戦後になっても意識され続けた

丙午生まれの女性は気性が激しく夫の命を縮めるとの言い伝えがある。1906年丙午において、多くの女性が婚期を逃したという。その事実が60年後の1966年に影響したことになる。干支は60干支と言われ60年周期で循環している。自身の生まれた干支が巡ってくるのは、60歳になった時、それを祝うのが還暦。

次の丙午は2026年になる。その時は吉凶で出生が減ることはないと思うが、すでに出生数は1989年から1966年の約137万人を下回っている。

吉凶で言うなら現代の人口減そのものが「凶」である。この世は全て陰陽、「吉」とは?
レイチェルカーソンの沈黙の春が米国で出版されたのは1962年、初めて農薬の危険性を警告した書籍として、今でも読まれている

我が国で無農薬野菜を販売する動きが始まったのが1970年代

最近になり70年代は「昭和」として脚光を浴びるようになっているが、環境という点からみると最悪である
川は汚れるだけ汚れ、光化学スモッグ警報が頻繁に流されていた

沈黙の春から50年が経過した。有機農業を営む生産者は1%にも満たない。米国が源泉である戦後の流れは今でも主流のままだ

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1960年代に生まれて
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五和れいほく
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