最近はダルビッシュが所属するレンジャーズ球団社長として知られるノーラン・ライアンがメジャーデビューしたのは1966年9月11日。その剛球に脚光が当たるようになるのは、入団したメッツからエンゼルスに移籍する1972年まで待つことになる
初めてライアンの剛球をテレビで観たのは、1979年シアトルキングドームで開催されたオールスターゲーム。その時はアメリカリーグの先発であったが撃ち込まれてしまった。しかし、その剛球とマウンドでの堂々とした姿は、今でも心に焼き付いている。これほどマウンド上で絵になる投手はいない、「これぞ投手」とも言える独特のオーラを持っているのだ
オールスターのナショナルリーグ先発は、同じ300勝投手で1980年代に通算奪三振数でメジャー記録を競うことになるスティーブ・カールトンだった。ライアンの奪三振力は1973年をピークに緩やかな下降線を描いていた。1983年にウォルター・ジョンソンのメジャー記録を破ったものの、その後すぐにカールトンがライアンの記録を破ることになる。
両投手が先発するたびにメジャー記録が変わるという、ニュースが話題になったのを記憶している
1973年383奪三振は、1986年に197まで下降していた。その翌年からライアンの奪三振力が再び上昇することを、誰が予想しただろうか?
1987年からチェンジアップを使うようになったのだ。それまでのライアンはストレートとカーブだけで三振の山を築いていた。測定位置で誤差が生じるスピードガンと違い、いかにライアンのストレートが並外れたものだったかを如実に物語っている
今年になり、ダルビッシュとライアンの奪三振数が比較されるのを、目にするようになったが、二人の投球スタイルは対象的である
1993年まで剛球投手として活躍を続けたライアンは、生きる伝説となった。ダルビッシュがいつまで活躍できるかは誰にも予想できないが、球団社長として近くに存在するのも何かの縁。何かを得て少しでも長くメジャーで活躍してもらいたい。ライアンから学べることは多いと思う
今年の初戦にダルビッシュが9回2アウトまでノーヒットを続けて話題になったが、ライアンは1安打ピッチングを12回も記録しているのだ
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